殺人刀・活人剣


指導員三段 K.S.

「殺人刀・活人剣」(せつにんとう・かつじんけん)という言葉があります。

意味について文字通り取れば、「刀」は人を殺すもの、「剣」は人を活かすものと言うことです。意味を掘り下げれば色々な説がありますが、今学ばせ ていただいている御流儀では、こんな風に教えて貰っています。

剣とは刃が両側に付いている武器です。従って、剣を人に向けるとき、その刃は相手に向くと共に、自分にも向きます。ですから、そんな両刃の「剣」 で人を斬るということは、自分を斬ることと同じであり、生半可な気持ちでは剣を振るうことなどできません。必然、剣を振るうという行為について深く考えず にはいられず、それは自分の人格の向上に繋がります。即ち、自分を活かすことになり、また、むやみやたらに相手の命を奪うことが無くなるので、相手の命も 活かすことになり、剣によって活人が可能となるわけです。

一方、剣に刃が片方にしかついてい「刀」からは、前述のようなきっかけが生まれません。人の命を奪おうと、何をしようとそれは自分とは切り離され たことであり、刀はただただ、殺戮のための道具となるのみです

御流儀の技を学んでいて常々思うのは、片刃の刀は両刃の剣とは比較にならないほど恐ろしいということです。強さ、切れ味、技のバリエーションと、 斬る為の道具としての優越性において、両刃の剣は片刃刀の比になりません。もともと、日本刀は奈良古墳時代には両刃の直剣でした。それが、最強を求める進 化のなかで片刃となっていったのです。

しかしながら形としては片刃になったものの、それを振るわせていただく我等の目標は自分自身の人格の向上と、それによる国家社会への貢献であるわ けですから、私たちは、この刀剣のによる技のことを「刀術」ではなく、活人剣の誇りと共に「剣術」と呼ぶのだということです。

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御流儀には、テコの原理を使って剣の破壊力を何倍にも増す、「則」という技術があります。一刀流の切り落とし、柳生新陰流の合撃と似た原理だそう です。その稽古を木刀でやることがあります。

手元ギリギリで打ち込み打ち込まれるので、指先まである程度きちんと護れ、かつ手ノ内も利かせることができるものとして、ラクロスのグローブを 使っています。防具はそれだけで、文字通り目の前で、恐ろしい速さで相手と自分の木刀を打ち合わせます。相手の気迫に負けると、木刀がすっとばされるか、 自分のにぶつけられます。たまらなく、怖いです。これを真剣で、しかも実戦でやりあっていた昔の人達のメンタリティは、本当に想像も付きません。

御流儀の伝書を読むと、人の命について、そして、世界生成について、一見ではとても理解できない深い内容が書かれています。今の私たちでは想像も 付かない精神性から生まれたものなのだと、つくづく思います。これもまた、殺人刀・活人剣という言葉のベースになっているのだと思えば、考えることは尽きません。