今年一年を振り返る


指導員三段K.S

 今年を振り返ってみると、特に後半は、自分の自源流を試す機会をとても多く持ったように思いました。

 十一月に、著名なある先生の団体の大会に、自源流の有志と共に参加しました。

 競技は、かいつまんで言えば巻き藁を定められた順番と場所で斬っていくものです。減点法で採点し、優秀者は表彰もされます。

 自源流の刀法とは、対敵想定も、斬り方も、全く違います。試斬の中では、ややもすると理解に苦しむような動作も含まれており、稽古をしていて違和感を感じることもありました。

 しかしながら、僕の目的は勝つことよりも、出ることでした。言葉では上手く言えないのですが、普段の自源流の稽古で培おうとしている「何か」を、自分の演武の中で少しでも貫くことが出来れば、それで良かったです。

 沢山の人が参加し、審査される様な場で、僕はこれまで、演武をするような経験はあまりありません。それがゆえに、どこまで自分が「自分の自源流」をできるのか、試すのは快い物でした。

 結果は点数としては評価されることはありませんでしたが、臆する事無く技を披露することができました。また、始める前と後、神前及び審査員・参加者の皆さんのそれぞれに、きちんと礼をすることもできたので(参加者のほとんどは、していませんでした)、満足でした。 またぜひ、来年も参加しようと思っています。

 つい先だって、十二月三日から七日までは、皆さんもご存じの通り、米国ウェストバージニア州(正確には、そこから車で1時間ほど離れた、Ransonという町の町道場)にて、自源流初の御流儀紹介のセミナーに参加してきました。

 宗家、最高師範、H顧問、S師範代、T師範代そして僕の総勢6名が、それぞれ講義と実技を指導してきました。

 日本剣術の哲学、自源流の哲学、礼法、自源流の刀法、日本刀について、武士道についてetc...紹介する内容は多岐にわたり、開始直前、そして三日間が終わるまで、始終どのようにして英語で紹介したらよいのか緊張の連続でした。

 この場で僕が自分を試していたのは、自分自身の日本剣術・武士道・そして自源流に対する理解度だったように思います。

 自分で喋っていても拙かったり、上手い言い回しが出てこない事ばかりでしたが、後から貰った感想では、単に直訳しかしないプロの通訳よりも、実践者として自分の言葉と表現に直していたのが、逆に良かったとの言葉も戴きましたので、そこそこは役に立てたのではないかと思います。

 元々のこの旅行の目的は、自源流の紹介と共に、現地の武道家の皆さんとの交流を深めることでした。

 そして、自源流の皆さんは自腹を切って渡航し、現地の皆さんは、職場を休んで遠路はるばる(車で片道六時間から九時間は当たり前)来てくださっているのですから、もう一方の自分の目標としては、可能な限り四日間めいっぱい日米の間に入って交流の橋渡しをするということでした。

 残念ながらその点は、正直最後まで体力が持ちませんでした。

 一日目の夜は、何とか飲み会までできたものの、二日目、三日目は、昼間のセミナーを終えるので精一杯、特に三日目の終わり頃は、立っているだけで精一杯、最高師範がお話になる内容を、全部は憶えていられず、大分はしょった場面もありました。

 疲れると、短期記憶力も削られて、初日に憶えていられた分量を憶えていられなくなると初めて知りました。 

 現地の皆さんが気を利かせて、晩餐を催してくださったりしても、正直ぐったりしてしまい、今思えばもっと気を利かせて立ち回れた場面が多々あったのを申し訳なく思います。

 行く前と、行っている間は、「こちらの内容を、どう伝えるか」に必死でした。

 そして終えてみると、今一番考えたいことは、「彼らの人生を豊かにする役に立つように、自源流そして日本剣術をどううまく伝えるか」です。

 今回出会った現地の人々は、武道家として、そして人として、僕など及びも付かない素晴らしい方々でした。

 このセミナーを主に支えてくださったのは、道場を貸してくださった、ロバート・ジング先生、事前連絡と準備に奔走してくださった、トム・マクダマット先生と、ルイス・フェリシアーノ先生の三人でした。

 ジング先生は、年の頃50代半ば、現在の仕事は素行に問題のある青少年の更正施設の教員をやりつつ、教育学の大学院の修士課程で、電子メディアを活用した教育方法を選考されているそうです。

 十代で始めた沖縄空手から早四十年、今では、世界拳法選手権というフルコンタクトの大会の米国代表チームを率いて毎年参加されています。

 また、その道場は、仲間内では「博物館(Museum)」と呼ばれています。元は教会の建物で、一〇mx 二〇m 程の道場なのですが、四方の壁には、木刀、槍、サイ、トンファ、様々な防具など、古今東西の武道用具が、すぐに使える状態で用意されています。

 トム・マクダマット先生は、30代後半、その昔は懸賞金犯罪者追跡を手がけ、その後、犯罪者の保護観察官、そして現在も犯罪者更生の仕事をされています。
 
 やはり大男ですが子煩悩でとても優しく、また、何度も日本に来て(2008年には靖国奉納演武に参加されました。)、自身の武道を極めようとされています。

 ルイス・フェリシアーノ先生は、とても物静かで40代半ば、地元の警備会社の重役で、武道家としてのキャリアも30年以上ある方です。
 
 今回は、片道1時間以上かかる行きと帰りの送迎を引き受けてくださったり、お昼ご飯に連れて行ってくださったり、大きなご自宅での夕食会も催してくださりと、自ら率先して動いてくださりました。

 一方大変子煩悩で、大きな家のほとんどの部屋は子どものオモチャがそこらじゅうにあり、長男と次男には野球の指導、三男には武道の指導をされています。別に病気とかそのようなわけでもないのですけれど、「自分はいつ死ぬか分からない。だから、子どもにはいつでも精一杯のことをしてやろうと思っている」と、ぽろっと漏らされたこともありました。

 セミナーに来てくださった米国の武道家の方々もまた、このお三方に負けず劣らず、謙虚で向上心にあふれた素晴らしい人格を持つ人々でした。彼らを前にすれば、ただただ、経験の浅い自分ができる精一杯のことをしたいという思いで一杯になりました。

 オバマ大統領が立ち、アメリカは大きく変わろうとしています。そして世界の構造も、ようやく冷戦時の二極体制から、多極体制に変わりつつあり、これからの世界は、ある面、応仁の乱後の戦国時代に近くなっていくように感じています。

 そんな中、実際にその体制変化を1000年に渡って生き延び、技術と思想を進化させ、活人剣に辿り着いた自源流は、正に世界に貢献できるものを持っていると思います。

 世界情勢が変わる中、アメリカは、今後一時的に大幅に国力が落ち、それは国民生活にも大きく影響するという人も居ます。自源流の技と精神は、そんな彼らにとって大変役に立つ可能性があるのではないかと思います。 

 そして、今回出会ったアメリカ人武道家の、謙虚かつ大きな向上心と熱心さ、そしてアメリカ社会の厳しさが自源流と交わり、何か新しいものが生まれるのではと思います。

 そして巡り巡って、ある意味グレイシー柔術のように、いつか遠くない日に日本に帰り、日本人に新しい活力をもたらすようにならないかとも、夢想します。

 話は変わり、僕は他の自源流の皆さんとは帰路を共にせず、その後も一週間ほど残りました。
 帰国日の3日前ほどは、ニューヨークの友人宅に滞在していたのですが、色々な都合から、朝の4時に、ハーレム地区を、彼の家から地下鉄の駅まで歩いていくことになりました。

 友人は楽天的な性格なのと、色々忙しかったため、非常に大まかな道順のみで、iPhoneのGPS機能片手にハーレムをさまようことになり、途中道にも迷ったので、結局一時間半ほども一人歩くことになりました。

 明け方にも関わらず、意味の分からないことを叫ぶ人、ワケもなくクラクションを鳴らしながら走る車などは、ひきもきらしませんでした。

 そんな中、護身武器としてカメラの三脚と、懐には友人宅から拝借した瓶ビールを偲ばせ、歩いておりました。刀ではありませんでしたが、ある意味自源流の実戦の中にいるような思いでした。

 あれこれ対敵想定もするなか、稽古のことが頭に浮かび、法形においてはより一層無駄をそぎ落とすことの大切さが思い浮かびました。実戦では無駄な動きをしている余裕が無いと言うことを、ハーレムの路上で身を以てひしひし感じました。

 そんなところが僕の二〇〇九年でした。来年もまた、様々な形で自分の「自源流」を深化させる機会に挑戦したいと考えています。

 しかしながらそれは、宗家、最高師範の日頃のご指導のお陰であり、共に稽古をさせていただく同輩の皆さんのおかげです。

 一年を閉じるにあたり、改めて心からお礼申し上げると共に、来年もどうぞ宜しくお願いいたします。