二段 T.H.
真剣での刀法とは全く違うと思い、剣道をやめてから30年。インターネットのお陰でさまざまな古武道の流派が現存することを知り、その一つの門も叩きましたが、やはり竹刀の型稽古で、古人は知らず、年月を経て本来の刀法は失われていると感じ、いつしかそこにも行かなくなってしまいました。
その後東京に単身赴任し、居合でも始めようかと考えた時にこの天眞正自源流を知りました。初めて聞く名前で、薩摩の東郷示現流とも異なり、「天眞正」という古式の神道由来の名があります。興味を持ってホームページを読み進むうちに、何か熱いものを感じてしまいました。しかし埼玉は私の住む品川からは遠く、地の利にも疎いため躊躇していましたが、たまたま車が手に入ったため、ナビを取り付け、初めての道を走ってお伺いさせていただいたのが一昨年の11月でした。
戸が閉まっていたので、初めは窓から見させていただいたのですが、抜刀・納刀の早いこと!さらに、抜刀と同時に一回転したと思えばすでに刀は鞘に入っている!こんな回転する居合など、見たことがありません。驚きながら見入っているうちに招き入れていただき、道場で間近に見ることができました。
さらに驚いたのは真剣で普通に練習しておられたことです。真剣で、あのように素早い抜刀・納刀が出来るとは!それも失礼ですが、若い方はどう見ても高校生か大学生です。私は腕組みをしたまま、何という流派なのかと感嘆していました。
そこへ指導に当たっておられた方が側に来られて、両手をつかれて丁重なご挨拶を頂き、いろいろと流派の来歴や特徴のお話を頂きました。話が進むうちに真剣を抜かれ、「持ってみますか」と渡されたのですが、見れば重厚な鍔には島津の紋が入っています。後でわかったのですが、これが御流儀最高師範との初めての出会いでした。そのまま、「神速」「左肘切断」について、真剣を使って実演とともに教えていただいたことは忘れることがないでしょう。
最高師範から説明を頂いた後も座って練習を見させていただいたのですが、一人の方に「則」を教えておられるのを興味深く眺めていると、こちらを振り向かれて「やってみますか」と声をかけられました。持参の木刀を取り上げ喜んで教えていただきましたが、これが大変な技でした。相手の刀を落とすと同時に懐に入り込み、一瞬で相手を制するものです。この技を実戦で使われたら、対応する術のないことは明白な奥義でした。有名な流派に似たものがありますが、遙かに高度で、実戦に即して完成された技であることを実感すると同時に、こんな技を、初めて来た見学者に教えていただける感激がじわじわと広がっていきました。
それ以来、入門のお許しをいただいて1年程ですが、どうかすると自源流のことを考えています。歩きながら電光の運びを考えていたり、気がつけば抜刀・納刀の仕草をしていたり。自分でも不思議で、笑ってしまう時もあるのですが。こうして考えたこと、一人稽古で疑問に思ったことが頭の中で渦巻くので、ある日メールで最高師範にお聞きしてみました。お返事は戴けるかどうかと思っていたのですが、翌日の深夜に返信があった時には驚きました。そこには新参者の生意気な質問に対する答えが丁重に書かれていました。
何回目かの稽古の折り、「自源流で最も重要視するのは、技ではなく人格です。人格の出来ていない人には入門を認めません。」そう言われた最高師範の言葉が耳に残っています。
「人格の完成なくして、技の完成はあり得ない。」とも。「技と人格、この二つを切磋琢磨しながら一生かかって磨いていく。」
他流派でも剣禅一如という言葉がありますが、これほど直接的な表現を聞いたことはありません。「武とは、戈を止める、と書く。これが神髄ですよ。」この言葉も、知ってはいても天眞正自源流最高師範の言葉、千年の時を超えて連綿と受け継がれてきた道統の継承者の言葉として聞けば、全く重みが違います。刀槍の最高技術を極め、28代にわたって受け継がれてきた流派の神髄が、言わば非戦なのですから。
私にはその資格があるだろうか?単に日本刀をうまく使う技術を身につけたいだけではないのか?そこでもう一度、「天眞正」の意味を考えてみました。
天眞正自源流は鹿島・香取両神宮に始まるとあります。その両神宮の御祭神の由緒を調べてみると次のようでした。この二柱の神は天孫降臨に先だってこの国に降りてこられ、戦わずして出雲の大国主命から国譲りを受けられた後、関東までの隅々を戦わずして威徳でもって平らかにされたあと、今の神宮に御鎮座されたということです。全く「戈を止める」そのままです。
この両神宮に始まる流派であればこの精神が基本であることは自然なことですが、千年の間、凄まじかったであろう戦国の時代を超えてなお、「戈を止める」ことが最高目的として受け継がれていることに感嘆せざるを得ません。 (ふと思ったのですが、明治維新の折、倒幕の先頭に立った薩摩藩士が使った剣は東郷示現流です。その薩摩を率いる西郷隆盛が江戸城総攻撃を断念し無血開城を実現したのも、勝海舟等の偉人の奔走があったとはいえ、やはり最後には「戈を止める」の精神があったからではないでしょうか。)
昨年の終わり、稽古の帰りに皆さんとコーヒーブレイクをした時、突然最高師範からこう聞かれました。「こんな時代に、なぜ原さんは武道をしようとするのですか?」私はどうお答えしたのか、よく覚えていません。自分でもよくわからなかったからです。
ただ、一見平和に見える現在でも、生存競争ということでは昔も今も変わりはありません。ビジネスという綺麗な名前で戦争をしているようなものです。自分の欲のために人をも殺します。直接的にも、間接的にも。なにより人は必ず死にますし、いつ死ぬかもわかりません。その事がいろいろな物で覆い隠されているのが現代のように思えます。そんな物に惑わされないように、いつも自分を正していくために、真剣を手に武道を修めながら、常に意識を生死の境に置いておくことが大事なように感じています。そうして初めて、生きることの意味を真摯に捉えて、いつ死んでも悔いのない生き方ができると思っています。
余談ですが、私は阪神大震災を直接体験しています。火が噴き出している建物から、まだ中に子供がいるという叫び声を聞きました。私たち家族は西宮の避難所にいたのですが、その隣の崩壊したマンションでは、数人の方が埋まったままでしたが、機材がないため警察や消防も助けることが出来ません。
道ばたには、毛布やシーツを掛けられた遺体がそのまま安置されていました。火葬場も病院も被災して機能していなかったからです。避難所になったある小学校では、体育館が死体安置所でした。瓦礫と化した真っ暗な町では、夜になるとあちこちで小さな焚き火がちらちらと動いていました。
この体験のあと、私は仕事を全く違うものに変え、数年して東京に出てきたのですが、生死をまざまざと見たあと、再び武道を志し、天眞正自源流に出会えた事は偶然ではないように思えます。日本の文化伝統の精髄とも言える剣術最高峰の流派に入門を許され、すばらしい師に巡り会えたことはこの上ない幸せです。
今年の稽古始めに最高師範が言われました。「宗家制度から師範会を中心とした師範会制に移行しようかと考えています。今ここにいる全ての人は、道統を受け継げるように精進をして欲しい。」身が震える思いでした。日本のすばらしい文化や伝統を受け継ぎ、伝えてゆくことは日本人としての最高の生き方だと思いますが、それを努力次第で、正統として行えるのですから。私はもう53になります。せめてあと数年若ければ、とも思います。しかし入門を許された以上は、「戈を止める」を胸に、真摯に技と流派の深奥を求め、そのすばらしさを伝えて行きたいと思います。