師範五段 K.N
TVのスポーツニュースを見ていると、プロゴルフの石川遼選手の活躍が連日のように報じられている。石川遼選手に限らず、スポーツニュースの表舞台において、またオリンピックにしても第一線で活躍している選手は、十代~二十代前半が大勢を占めており、三十歳台ともなれば体力の限界を感じ、引退する選手が多い。
これは解剖生理学的に見ても、成長曲線は二十才までがピークであり、その後は緩やかに下降カーブを描いて減退していくことからもあきらかである。
神経細胞も減少していくが、その分ニューロンのネットワークを密にしていくことで、能力低下をカバーしていることが知られている。
先日、「世界を変えた日本人百人」というTVの特集番組で、プロスケーターの佐藤有香さんを取り上げていた。オリンピックメダリストである伊藤みどり選手と同世代に活躍した方で、世界選手権後にプロスケーターに転向。
北米に拠点を移し、スターズ・オン・アイスやチャンピオンズ・オン・アイスなどのアイスショーに多数出演し、また世界プロフィギュア選手権で四度優勝。
その後、コーチ兼振付師としても活動を始め、一九九八年頃からは日本人選手の指導も行うようになり、一九九八-一九九九年シーズンは荒川静香の振付も担当している。
現在はデトロイトスケートクラブを拠点にし、アリッサ・シズニーやジェレミー・アボットの指導や小塚崇彦の振付を行っている。
アマ・プロを問わず、選手が第一線を引退して、トレーナーやコーチになることは珍しいことではないが、あえて佐藤有香さんをここで取り上げたのは、例え競技から退いたにせよ世界に通じる一級の技術を維持し、また現役の一流プレーヤーたちが尊敬の念を持って指導を仰ぎに訪れる。武術を若い時だけの一過性のものではなく、生涯学習の場であると捉えた時に、よいお手本と思いピックアップさせて頂いた。
十八歳にして「疲れた~!」「もうおばさんだ~!」と叫んでいる若輩もいるが、基本的に二十歳が成長曲線のピークであることは既述した。(個人によって差異はある)二十代後半の門下生においても、すでに感じておられる人もいるかもしれないが、確実に骨筋力、反射・運動神経ともに加齢による減退を避けられない。
オリンピックに代表される西洋型スポーツ競技においては、基本的にパワー&スピードが勝敗の決める大きなウェイトになっている。よって、それらが衰える三十代で引退せざるをえなくなるわけである。
話は変わり、源心会の今後の活動の一環でもある武術を通しての青少年の育成ということで、今後の学童年齢の若年者に対する指導について考察してみたい。
現在、解剖生理学、運動学を学んでいることもあり、若年者におけるスポーツ障害について述べておきたいと思う。
先ず知っておいてもらいたいのが、スポーツ=健康ではないということである。特に競技志向が強くなり、勝敗に拘れば拘るほど、結果として身体を傷つけてしまうことを知っておいて欲しい。
マスコミ等で華々しいスポーツの表舞台が報じられているが、その陰で多くのアスリート達が怪我や障害で現場を去っていることを忘れてはならない。
学童年齢の児童を指導する際には、そのことに留意し、児童本人ならず保護者である親も含め教育指導していく必要があると思われる。
学童年齢の児童は、成長過程にあり、端的にいえば未熟である。ウェイトトレーニングは骨の変形をもたらし、過度の運動は障害を招きやすい。
典型的な例として少年野球におけるリトルリーガー肘があるが、過度な投球動作により肘関節の骨端線が離開してしまう。
疼痛によって来院するが、疼痛が治まると早期に運動を始めてしまい再発し、成長障害により内反肘等の変形治癒に至る。
青少年期には代償活動が活発なため、外見上の変形を除けばADL(日常生活活動)に支障は感じないが、加齢により代償活動が減少してくるとボディバランスが崩れ、肘の局在にとどまらず、肩・頚等にも障害が現れ、ひいては神経、内臓活動にも影響を及ぼす。(殺法でいうところの五年・十年ゴロシの原理です)よって児童への指導にあたっては、心身の健全な育成という大局に立ち、目先の勝敗に拘ることなく、解剖生理学的並びに運動学的知識を基本として、怪我並びに成長障害を防止することが肝要と思われる。
以前読んだ時代劇小説に、著名な剣豪であった塚原朴伝は、就寝中に今まで感じたことのなかった微かな痺れが四肢に走るのを感じ、以降試合をすることを辞めてしまったというのを読んだことがある。
当時の試合は「死合い」であり、負けは死であるとするならば、賢明な選択であったと思われる。
最後に、特別に口伝をひとつ伝授致したいと思う。最高師範から指導を頂いている中で、古伝というのは本当にすごいなと思ったことに、身体に負荷をかけた動きをさせないというのがある。
ナンバという身体の使い方は、古流をやっている人には、何をいまさらの世界であるが、天眞正自源流における円転動作の指導の中で、軸と正中線ということがよくいわれるが、これはまた上肢と下肢を一致させることでもあり、それは身体を捻らないことでもある。
解剖学的に上肢と下肢は、骨盤で腰椎五番目と仙骨が腰仙関節にて連結されている。
また脊柱の回旋運動において、胸椎は側屈回旋ができるが、腰椎はできない。これは脊椎の関節形状により可動制限されているのです。
西洋スポーツのように上・下肢の反対運動⇒身体を捻ることによって、上下・左右のバランスをとる運動は、運動エネルギーのロスのみならず、身体に対しても負荷をかけていることになる。
要は、身体に無理な動きをさせて痛めたとしても「待った」はないよ!ということである。格闘技ルールと違い、ガチンコの戦闘中もしくは死合いの際は動きが止まった時が、死ぬ時である。K1である選手が試合中に眼底骨折した時は、レフリーストップによるKO負けで終りましたが、「死合い」ならばリング中央で仁王立ちしたときに、四肢が斬りとび、倒れたあとに首と胴が生き別れとなっていることだろう。
少し殺伐とした話題になってしまったが、これは剣術における撃剣論として述べているわけではなく、試合に挑むにあたっての心法または気構えとして受け取って頂きたい。
私自身、武術の修練にあたっては、単に闘争技術としてではなく、本来の意味でのマーシャルアーツとして芸術の域まで高めていきたいと思っている。
天眞正自源流には、それに値するだけのポテンシャルと奥深い懐を秘めていると感じている昨今である。