天眞正自源流を想う


 師範八段M.H.

1.始めに・・・・・・・

 大変高邁なテーマを頂戴し困った。壮大な思想性と、何処までも深遠な術理の共在する当流を語るには、余りに未熟で力不足の自分を実感する。しかし、僅か15年の歳月ではあるがその間稽古を続けてこれた理由・・・・・・当流の術理の奥深さに魅了されてきた楽しさについて』なら語れる事に気付いた。そしてこの想いを『源心会会員各位の一人でも多くの方と共有できたら大いなる慶びに感ずる。

2.当流との出会いの契機

 夕闇が迫り、ビジネス街の喧騒も徐々に治まろうとしていた。勤務先オフィスである●●ビルは、官庁街霞ヶ関の一角にあり、20数社の企業が共在するオフィスビルである。明朝一番で提出しなければならない書類作成に取り掛かろうしていた。求められている内容の質を考えるとやり終えるまでには時間が掛かりそうな予感がし、間食を手に入れるために席を立った。

オフィスのある7階からエレベーターに乗り込むと、上の階にある取引先商社に勤める顔見知りのある社員と偶然乗り合わせる。ふと彼女の肩口を見るとおしゃれな服装とは不釣合いな黒い細長い皮のケースを下げている。小型のゴルフケースでもなく見慣れない形状の黒いケースだった。「これ何?」「野球のバットでも入っているの?」これが当流との出会いのきっかけ、1993年の春だった。

3.出会いそして強烈だった初見の印象

先のの自源流女性剣士と勤務先エレベーターで偶然一緒になってから一ヵ月後、広大な空港敷地にある全日空羽田整備工場ビル内の全日空武道場が当流との最初の出会いだった。

初見は、強烈なインパクトを突きつけられた。流れるような無駄のない動きの中で真剣を扱う妙味、切れのある華麗な速さと舞いの美しさ刹那を超えたその所作の見事さに魅了された。今まで自分の接してきた武道にはないその動きに圧倒された。この動きを自分も身に付けられるのか?。これが当流との出会いだった。

4.入門に至る

入門に至る当時の状況は・・・・・・・・・高校生で空手を始めちょうど30年近くが経っていた。

競技空手に注力した時期を経て選手活動引退後は、スポーツから武道への空手を求めながらもある種の限界と物足りなさを感じていた時だったと記憶する。そんな時期ゆえ、当流の武道性の質の高さに触れ多くを感じた事を思い出す。

当流との衝撃的な出会い後、長年師事してきた空手の宗家の許しを得て、当流一門の末席に加えて頂く。 46歳 夏 晴れて武道の二束の草鞋活動の出発となった。

5.当流に出会えてから今日まで

 当流に師事して僅か十五年足らずであるが、その間自分なりに感じた稽古の楽しさについて二点触れたい。

まず最初に、およそ刀法にて闘う人間が考え付くであろう全ての技が包括されていると思われるほどの技の幅の広さ、そしてそれは単に技の豊富さだけでなく、何百年も掛けて一門の先人達がそれぞれの時代の中、熾烈な実践と叡智な工夫を積み重ね、極めて完成度の高い技(法形)へ集約・昇華させ現在継承されていると考える。

 次には・・居合い&組太刀&刃斬合いの各法形へ試斬を加えた一つ一つ位相の異なる稽古手法が合理的・効率的に組み合わさって、極めて精度の高い稽古体系として今に継承されている点である。

 そして、その稽古体系は現代スポーツの最も進んだトレーニング手法をも凌駕する程の完成度の高い伝承体系である。

 それ故、それらの稽古体系に準じて直向に修練して行けば、その先には明らかな「道」が視えて来ると確信する。何時の日にかは、法理を内包した連法形はもとより有構/無構の域へと到達点も視えてくるかもしれない。天眞剣/天眞刀への道程は遥かに遠く最終点は未明なれど、当流のこれらの優れた体系を学べる事は大いなる喜びであり、誇りでもある。

6、結び

今日の稽古では何がまなべるのか? 何に気付かされるのか? どんな身体感覚を覚醒できるのか?稽古へ行こうとする度に期待が膨らむ! 稽古の帰りはその折々の成果に喜ぶ。この楽しさは入門以来変わっていない。さあ”次の稽古ではどんな発見が出来るだろうか?