ラベル 源武2007年号 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 源武2007年号 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

則の修練


御流儀最高師範

現行武術に於ける刀法の基本は、敵の太刀筋を断つ事をその基本としている。即ち、一度止め受け手からの攻撃であり、この相反する二つの動作を同時に行う事から身体の不自然さが出てくるのである。

 竹刀剣道に於ける最終技術は後の先であり、敵が打って来る瞬間を捉えて、中心を外しながら、同時に敵の隙を打つ所業である。素晴しい技術ではあるが、是を会得するのには相当の修練と時間を要するものである。

 しかしながら、この竹刀剣道究極の技術も、事、実戦となると相当に異なってくる。竹刀剣道のように飛び込みながら、身体を伸ばして真剣で打ち込んだ場合、万が一外しでもすれば、それは自殺行為以外の何者でもない。

 真剣勝負で生命をかけての対決であれば、一か八かの勝負は捨ててかかるべきである。その証拠に幕末で有名を馳せた『防具付竹刀剣道』の名人達人と称された人たちは、尽く実戦に於いて敗れている。ある者は手首を失い、ある者は命さえも失ってしまったのである。

 攻撃部位は籠手/面/胴だけではない、ありとあらゆる身体の全てが攻撃対象となる。指や足の先ほどでも真剣がかすり斬れば、相当の痛みが生じ、その瞬間に隙が生まれ虚をつかれてしまう。あとは命を失うだけである。

 三本勝負は意味を成さない、実戦に於いては一本勝負あるのみであり、負ける事は死を意味するからである。

 天眞正自源流に於ける『則』の技法には、『千の則がある』と伝えられるように、その変化は縦横無尽である。
 
 故に真正の『則』を会得し自得の域に到達する為には、相応の厳しい修練を積まねばならない、古来、『則』を真正に修得する者は千人に一人と言われる程、厳しいものであった。
 
 立木撃ちの朝夕八千回に比例して、『則』の修練は更に想像を絶するものである。

 立木に対して、木剣を滑り切る様に左右に打ち切る修練から始まり、是を日々一万回、そして、千日経過の後、自然木の枝を縦横上下に打ち切る修練が更に千日、そして、最後に真剣で真剣に則で切り込む修練を千日、都合三千日の難業であった。
 
 『則』は自源流の真骨頂と成す曇耀『いなずま』の太刀筋を生み、抜刀納刀の修練は神速の電光『でんこう』の術理を構成する。

 ≪陰の太刀曇耀を自得は則を会得せしめる所以也。陽の太刀電光の自得は神速を会得せしめる事也≫とあるように、曇耀と電光は陰陽に位置しながら表裏一体の術理に他ならないものである。

 今より後、数十年数百年後に天眞正自源流武術が形骸化し、修練なくして、この曇耀と電光を伝承しても、それは武術歴史の残像を残すに過ぎないといえるであろう。

抜刀納刀について


初段 K.S.

ちょっと前から、抜刀納刀の稽古がとても面白いです。ただ漫然と抜いて納めるのではなくて、呼吸を含め自分の体全体で一番いい時にいい角度で抜いて、一番良い弧を描いて、また戻すことを目指します。
 
 その、言葉にできない「あとほんのちょっと先」を求めてひたすら抜いて納めると、時を忘れます。

 この抜いて納めるという動作、人の一生のようであるとも思ったもありました。剣が鞘の中にある間は、まだ世界に生まれでる前の一体の状態。そこから、きっかけがあって生まれ出て、刃が空を斬る。

 人の一生って、いかに自分は自分をとりまく世界と違うモノなのかを見いだしてゆき、そしてその一方でいかにしてその世界とまた一つになるのかを探していく過程とも言えると思います。
 
剣は、モノを斬る、分ける道具です。私たち人間もまた、生まれ出たときに世界から切り分けられ、自意識を発達させ、言葉を使うようになって世界を切り分けてゆきます。それは、剣を抜いて振り切るまでのよう。人はまた、いつの時点からかは、この世を去ってまた土に、空に戻ることを意識し始めます。それは、振り切った剣をまた、鞘に納める過程のように感じます。

そんなことを考えながら抜刀納刀を稽古します。そして、全ての剣法の所作を、意識的に抜刀納刀と同じ"何か"から繰り出せるようになりたいと思います。

また一方、自分の生き方における抜刀納刀を見いだし、人や物事との関わり方にも活かしてみたいと思いす。皆様本年もどうぞよろしくお願い致します

天眞正自源流最高師範との出会い


二段  T.H.

 真剣での刀法とは全く違うと思い、剣道をやめてから30年。インターネットのお陰でさまざまな古武道の流派が現存することを知り、その一つの門も叩きましたが、やはり竹刀の型稽古で、古人は知らず、年月を経て本来の刀法は失われていると感じ、いつしかそこにも行かなくなってしまいました。

 その後東京に単身赴任し、居合でも始めようかと考えた時にこの天眞正自源流を知りました。初めて聞く名前で、薩摩の東郷示現流とも異なり、「天眞正」という古式の神道由来の名があります。興味を持ってホームページを読み進むうちに、何か熱いものを感じてしまいました。しかし埼玉は私の住む品川からは遠く、地の利にも疎いため躊躇していましたが、たまたま車が手に入ったため、ナビを取り付け、初めての道を走ってお伺いさせていただいたのが一昨年の11月でした。

 戸が閉まっていたので、初めは窓から見させていただいたのですが、抜刀・納刀の早いこと!さらに、抜刀と同時に一回転したと思えばすでに刀は鞘に入っている!こんな回転する居合など、見たことがありません。驚きながら見入っているうちに招き入れていただき、道場で間近に見ることができました。

 さらに驚いたのは真剣で普通に練習しておられたことです。真剣で、あのように素早い抜刀・納刀が出来るとは!それも失礼ですが、若い方はどう見ても高校生か大学生です。私は腕組みをしたまま、何という流派なのかと感嘆していました。

 そこへ指導に当たっておられた方が側に来られて、両手をつかれて丁重なご挨拶を頂き、いろいろと流派の来歴や特徴のお話を頂きました。話が進むうちに真剣を抜かれ、「持ってみますか」と渡されたのですが、見れば重厚な鍔には島津の紋が入っています。後でわかったのですが、これが御流儀最高師範との初めての出会いでした。そのまま、「神速」「左肘切断」について、真剣を使って実演とともに教えていただいたことは忘れることがないでしょう。

 最高師範から説明を頂いた後も座って練習を見させていただいたのですが、一人の方に「則」を教えておられるのを興味深く眺めていると、こちらを振り向かれて「やってみますか」と声をかけられました。持参の木刀を取り上げ喜んで教えていただきましたが、これが大変な技でした。相手の刀を落とすと同時に懐に入り込み、一瞬で相手を制するものです。この技を実戦で使われたら、対応する術のないことは明白な奥義でした。有名な流派に似たものがありますが、遙かに高度で、実戦に即して完成された技であることを実感すると同時に、こんな技を、初めて来た見学者に教えていただける感激がじわじわと広がっていきました。

 それ以来、入門のお許しをいただいて1年程ですが、どうかすると自源流のことを考えています。歩きながら電光の運びを考えていたり、気がつけば抜刀・納刀の仕草をしていたり。自分でも不思議で、笑ってしまう時もあるのですが。こうして考えたこと、一人稽古で疑問に思ったことが頭の中で渦巻くので、ある日メールで最高師範にお聞きしてみました。お返事は戴けるかどうかと思っていたのですが、翌日の深夜に返信があった時には驚きました。そこには新参者の生意気な質問に対する答えが丁重に書かれていました。

 何回目かの稽古の折り、「自源流で最も重要視するのは、技ではなく人格です。人格の出来ていない人には入門を認めません。」そう言われた最高師範の言葉が耳に残っています。
「人格の完成なくして、技の完成はあり得ない。」とも。「技と人格、この二つを切磋琢磨しながら一生かかって磨いていく。」

 他流派でも剣禅一如という言葉がありますが、これほど直接的な表現を聞いたことはありません。「武とは、戈を止める、と書く。これが神髄ですよ。」この言葉も、知ってはいても天眞正自源流最高師範の言葉、千年の時を超えて連綿と受け継がれてきた道統の継承者の言葉として聞けば、全く重みが違います。刀槍の最高技術を極め、28代にわたって受け継がれてきた流派の神髄が、言わば非戦なのですから。

 私にはその資格があるだろうか?単に日本刀をうまく使う技術を身につけたいだけではないのか?そこでもう一度、「天眞正」の意味を考えてみました。

 天眞正自源流は鹿島・香取両神宮に始まるとあります。その両神宮の御祭神の由緒を調べてみると次のようでした。この二柱の神は天孫降臨に先だってこの国に降りてこられ、戦わずして出雲の大国主命から国譲りを受けられた後、関東までの隅々を戦わずして威徳でもって平らかにされたあと、今の神宮に御鎮座されたということです。全く「戈を止める」そのままです。

この両神宮に始まる流派であればこの精神が基本であることは自然なことですが、千年の間、凄まじかったであろう戦国の時代を超えてなお、「戈を止める」ことが最高目的として受け継がれていることに感嘆せざるを得ません。 (ふと思ったのですが、明治維新の折、倒幕の先頭に立った薩摩藩士が使った剣は東郷示現流です。その薩摩を率いる西郷隆盛が江戸城総攻撃を断念し無血開城を実現したのも、勝海舟等の偉人の奔走があったとはいえ、やはり最後には「戈を止める」の精神があったからではないでしょうか。)

 昨年の終わり、稽古の帰りに皆さんとコーヒーブレイクをした時、突然最高師範からこう聞かれました。「こんな時代に、なぜ原さんは武道をしようとするのですか?」私はどうお答えしたのか、よく覚えていません。自分でもよくわからなかったからです。

ただ、一見平和に見える現在でも、生存競争ということでは昔も今も変わりはありません。ビジネスという綺麗な名前で戦争をしているようなものです。自分の欲のために人をも殺します。直接的にも、間接的にも。なにより人は必ず死にますし、いつ死ぬかもわかりません。その事がいろいろな物で覆い隠されているのが現代のように思えます。そんな物に惑わされないように、いつも自分を正していくために、真剣を手に武道を修めながら、常に意識を生死の境に置いておくことが大事なように感じています。そうして初めて、生きることの意味を真摯に捉えて、いつ死んでも悔いのない生き方ができると思っています。

 余談ですが、私は阪神大震災を直接体験しています。火が噴き出している建物から、まだ中に子供がいるという叫び声を聞きました。私たち家族は西宮の避難所にいたのですが、その隣の崩壊したマンションでは、数人の方が埋まったままでしたが、機材がないため警察や消防も助けることが出来ません。

 道ばたには、毛布やシーツを掛けられた遺体がそのまま安置されていました。火葬場も病院も被災して機能していなかったからです。避難所になったある小学校では、体育館が死体安置所でした。瓦礫と化した真っ暗な町では、夜になるとあちこちで小さな焚き火がちらちらと動いていました。

 この体験のあと、私は仕事を全く違うものに変え、数年して東京に出てきたのですが、生死をまざまざと見たあと、再び武道を志し、天眞正自源流に出会えた事は偶然ではないように思えます。日本の文化伝統の精髄とも言える剣術最高峰の流派に入門を許され、すばらしい師に巡り会えたことはこの上ない幸せです。 

 今年の稽古始めに最高師範が言われました。「宗家制度から師範会を中心とした師範会制に移行しようかと考えています。今ここにいる全ての人は、道統を受け継げるように精進をして欲しい。」身が震える思いでした。日本のすばらしい文化や伝統を受け継ぎ、伝えてゆくことは日本人としての最高の生き方だと思いますが、それを努力次第で、正統として行えるのですから。私はもう53になります。せめてあと数年若ければ、とも思います。しかし入門を許された以上は、「戈を止める」を胸に、真摯に技と流派の深奥を求め、そのすばらしさを伝えて行きたいと思います。

天眞正自源流を学び思うこと


 指導補二段 N.M.

私が自源流に入門し、早2年9ヶ月が経ちました。最近は、特に納刀を稽古しております。納刀の難しさ、思い通りにならない自分の体に迷う日々です。

 迷いが剣に表れると教わりましたが、納刀の稽古をしていて、実感したことがあります。納刀の際、心が迷っている時は刀を怖く感じ、自分を傷つける気がしてきます。

 このようなときは、ゆっくりと丁寧な稽古を心がけると、自然と心が落ちついて、素直に刀が納る様に思います。

 先生や先輩の教えの守り、丁寧に稽古を続けることが、必要であるとあらためて実感しました。今日まで、稽古会に参加してこれたのも、御宗家をはじめ、先生や先輩方のあたたかいご指導、同門の皆様のお力添えがあればこそです。

 心より感謝しております。これからもご指導の程、宜しくお願いします。

天眞正自源流への希望 


指導補二段 T.Y.

 私は私自身の過去の経験から私の心、特に「恐怖」を克服したくて自源流に入門しました。それから約3年ようやくスタートに立てたという感があります。言い方を変えれば目指す形のようなものが理解できてきたという事です。

 目指す形というのは最高師範がよく言われる不動心という事です。不動心とは心の有り様ですがそれは自源流の法形そのもののように感じられます。剣の動きは自由自在でありながら中心は決して動かず安定している形こそ不動心の形であり、体現したものであると思います。

 当然ですがこれを身につける事は容易ではありません。不器用な私ではなおさらであると思います。しかし今、自源流を学ぶ私には良き師がいて、先輩方がいて、友人がいます。確かに困難な事ではありますがそれでも師や先輩方の背中を追いかけながら、友や後輩と切磋琢磨しながら、少しずつ不動心の道を進んでいけることが私の自源流への希望です。

指導員として


 指導員三段 Y.T.

天眞正自源流兵法源武会の皆様、この度、指導員三段にさせて頂きました。

 天眞正自源流兵法の修行を始めて四年目になります。自分自身の成長を、なかなか実感できないでいる中、指導員にさせていただいた事は、大変恐縮な事であり、又、正直戸惑いがあります。

 ですが、自分が今まで学んできた天眞正自源流の技と心を、初心者の方々に、少しでも正確に、歪まずに伝える事が出来れば、みなさんの修行の手助けになるかと思います。

 私自身、まだまだ未熟ですので、宗家、最高師範、緒先輩方の教えを、共に学びながら、御一緒に精進して参りましょう。

 以上です。不慣れなもので、上手くまとまってないかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします。

自源流との出会いと人生の『軸』について

 初段 M.H.

私と自源流との出会いは、1年半前のことである。私はそれまでも、恐らく人並みに人生を楽しんでいたし、仕事や趣味・人間関係をとっても、様々な課題を抱えながらもそれなりに充実していたと思う。

 しかし同時に、毎日に漠然とした物足りなさや焦燥感も感じていた。私にとって、人生を歩む上で『軸』となるべきものが欠落しているように思えたのだ。
 
 日々、様々なジャンルで活躍する人々をメディアを通して目にする度に、彼らに尊敬と羨望の眼差しを向けながら、自分は何を成すべきかを問いかけてきた。しかしその答えは、なかなか見つからなかった。
 
 幾つか趣味はあったが、私にとってそれらは「多少学ぶべきことのある一過性の楽しみ」でしかなく、ほとんどが自己満足に過ぎなかったし、興味を持った幾つかの新たな分野に目を向けてみても、やはりそれ以上になり得るものは簡単には見つからず、人生の『軸』への手がかりは長いあいだ掴めずにいた。
 
 そんな日々を漠然と過ごしていた中で突然出会い、後にそれを幸運だったと心から思えたのが、天真正自源流との出会いである。

 その頃私は護身術に関心を持っていたため、時折インターネットで合気道や空手の道場を検索していた。その折に自源流のHPを見つけたのだが、それまで剣術には全く興味が無かったにも関わらず、そのとき自源流に、急速に強い興味を抱いた。
 
 実はそれ以前にも、一度HPを訪れたことがある。今から3年ほど前だろうか?だがその時には、古武術一般に対して持つ「伝統的かつ貴重なもの」としての好奇心はあっても、それ以上の思いは持たなかった。そう考えると自分にとって最適な時期に、導かれて自源流の門を叩いたのではないかと思えてくる。

 実際、遅咲きで武術を始めた私は、『もっと早く始めたかった』と思うことが少なくない。だが、これまでの人生を振り返ると、通るべき道筋を通って、出会うべきときに出会ったのではないかという気がしてくる。

 出会って1年半ほど経った今、自源流との関わりは、私にとって生活の一部となりつつある。素晴らしい師や仲間たちに恵まれたこと、そして心身の鍛錬と自己の向上を目標とした日々の中で、やっと出会えた自源流が、私の人生の『軸』となる日は、そう遠くないような気がしている。

女性初の指導員として


 指導員三段 R.N.

約1年半前、アメリカでの武道セミナーに参加した時、拳法のアメリカ人宗家が仰いました。
「人を殺傷する方法を学ぶ連中は殆どがbrutalでsloppyだ。でも自源流の人達は同じ目的の所作をしているのに、実に美しい。その違いは・・・・“discipline”だ」同感でした。

 今までの人生で運動らしいことを全くせず、何の素養も無く入門してしまったのは、日本の美しい伝統文化・価値観の粋である武士道が、自源流で未だ息づき実践されているのと、奔放に育った為に“discipline”(躾、自己規律、修練)の持つ清廉さに憧れていたことがあります。

 様々な日本文化の中でも武道に着目していたのは、命の遣り取りという究極の場でこそ真善美が最も鮮明に現れると思ったからです。

 中でも日本刀には、高度な美学、精神性が感じられた為、他の道場で単なる武器の一つとして扱い方を習った時は物足りなく感じました。そんな中自源流に出会い、所作全ての美しさに感銘を受け、求めていた真善美を見つけたと感じ、即入門希望をしました
 人体を損壊する技は、究極的にはUFCのような野蛮な方向に流れそうですが、自源流では、むしろしなやかで柔らかな動きが見られます。その中に潜む破壊力に呆然とすることもありますが、男性より女性の方が向いていると思われる面も多くあります。

 畏れ多くも女性初の指導員になりましたが、そういった点も踏まえ、女性の後輩には体力や体調に充分配慮した取り組みやすい指導をしていきたいと思います。

 また、一人の指導員としては、自源流の哲理、術理の深遠さ、美しさを伝えられるように勉強し、修練をしていかなければならないと痛感しております。

天眞正自源流の志を忘れず


 師範代五段 K.N.

皇紀(神武暦)2668年、平成の世にあり、ここ日ノ本の国において、大多数の日本人が忘れ去り、すでに古の遺物になってしまったと思われている剣術をなぜ修練しているのだろうか?その意味をまず問おうと思い、「平成」の出典を調べたならば、おもしろい記述をみつけた。

 「平成」の名前の由来は、『史記』五帝本紀の「内平外成(内平かに外成る)」、『書経』大禹謨の「地平天成(地平かに天成る)」からで「内外、天地とも平和が達成される」という意味であるが、また「平」「成」の文字の中に「干(=楯)」「戈(=鉾)」があり「干戈(戦争を意味する)」に通じるとある。

 私も含め、大多数の日本人が平和への願いとその象徴としてイメージしていた平成という年号に、こんな隠された意味があるとは、少々驚きも感じた。

 正にすべての事象は陰陽で成り立っているというべきであろうか、わたしの問いの答えは既に「平成」の中にあった。古人(いにしえびと)曰く、「治にあって、乱を忘れず。」とあるが、ここに旧暦慶応4年(1868年)明治維新より140年経ち、武士の魂を忘れた平成の世に、乱世の兵法を学ぶ意味がある。

 「武士道」といえば、新渡戸稲造がアメリカ人に紹介するために『武士道』を武士の滅び去ったのちの明治の世に著し、それが日清戦争以降わが国に逆輸入されたものが有名であるが、それ以前に幕末の万延元年(1860年)に山岡鉄舟が『武士道』を著している。

 それによると「神道にあらず儒道にあらず仏道にあらず、神儒仏三道融和の道念にして、中古以降専ら武門に於て其著しきを見る。鉄太郎(鉄舟)これを名付けて武士道と云ふ」とあり、少なくとも山岡鉄舟の認識では、中世より存在したが、自分が名付けるまでは「武士道」とは呼ばれていなかったとしている。

 それ以前には、武士道という概念に後世においてつながる武士としての理想や支配者としての価値観としての「士道」が生まれたが、その元をただせば戦国の武士の気風を受け継ぎ殉死などを行なう傾奇者を公秩序維持のため徳川家綱の代に禁止するために作られたものであった。

 その教育理念として、江戸幕府は儒教の朱子学を公の学問とし、信・義・忠を重んじ、気高い振る舞いを行なうのが武士であると定義した。その後江戸時代を通じて形成された、儒教的な「士道」に反発し武士としての本来のありようを訴える人もあらわれた。

 そうした武士の一人に佐賀藩士山本常朝が著したのが『葉隠』である。しかし、この時代にその思想が武士社会に広まることはなかったとされている。

 (以上ウィキペディア「Wikipedia」より引用)

 この『葉隠れ』より出た有名な言葉で、「武士道といふは死ぬことと見つけたり」というのがある。武士の死に方といえば切腹であり、これは別名腹切り(はらきり)、割腹(かっぷく)、屠腹(とふく)ともいう。武士の名誉ある死に方とされている切腹であるが、それは新渡戸稲造が著した『武士道』の中で、「腹部には、人間の霊魂と愛情が宿っているという古代の解剖学的信仰」から、勇壮に腹を切ることが武士道を貫く自死方法として適切とされたとの説や、腹に一物を持っていないことを証明するパフォーマンスとしての手段であったとの諸説があるが、ここでこれ以上の切腹に関する言及は割愛したい。

 「死ぬことと見つけたり」を、ともすれば信仰的に考えたり、または行為として倫理的に捉えがちであるが、わたしはこれを武術的な心法として捉えたいと考える。

 結論からいうならば、それは平常心ということである。武道を嗜んでいるものであれば、一度ならず耳にしたことのあることばであろうが、この出典は柳生新陰流の兵法家伝書にある。曰く「僧、古徳ニ問フ、如何カ是レ道ト、古徳答テ曰ク、平常心是レ道ト…(中略)故に、無心にして、一切のこと一もかく事なし、是只平常心也。此平常心をもって一切の事をなす人、是を名人と云也。」そしてこれは、「一切の道理を見おはりて、皆胸にとどめず、はらりはらりとすてて、胸を空虚になして、平生の、何となき心にて、所作をなす。この位にいたらずば、兵法の名人とは云ひ難き也。」につながる。

師範代として成すべきこと


 師範代四段 S.T.

師範代としての役割は以下の3点かと思います。

1. 初心者、及び新たに入門者が来られた時などは1日でも早く道場になじむように積極的に声をかけてあげ孤立した状態にならぬように仲間に打解けられる状況作りが師範代としての役割と考えています。

2. 宗家、最高主席師範、の代わりに直接的に稽古を行い指導にあたり、そして自らの復習も兼ねて、共に天眞正自源流兵法を学んでゆく事が指導員であり師範代です。

3. 指導員は後身に対しては正しい動きの指導を行い、師範代は皆の技量を掌握して稽古相手の技術を引き上げてあげる事を心がけています。

【幕末の儒者佐藤一齋の言葉に「教人者、要須責其志。聒聒騰口、無益也」がありますので参考までに記します。】

<人を教えうる者の肝要は、立志の堅固であるかどうかを責めるべきで、その他のことをただ口やかましく言っても、何の益にもならない。> 

自源流を始める以前の20余年の間に出会った求道者の先生や先輩方について紹介します。

○ 一言の大切さ

 書における師匠は誰にでも腰を低く接してくださる方です、この先生は人の長所を見抜き褒め称えながらも的確に短所を1つずつ直し成長させて下さった先生です。

 私が師範となった時、過去を振り返るつもりで最初に書いた文字を見たのですがお世辞にも褒められる所など見つかりませんでした、人をやる気にさせる一言の大切さを学びました。
 
○ 求道者としての姿

 ある師匠は書の師匠とは相反する性格の方で、個人の特性と体力の限界などを見抜かれたうえで稽古をつけていただきました、この先生の考えは武術とは危険なものであるけれど日常生活に支障を与えるようなものは師範としての資格はないと言い切り稽古をつけていただきました。

この先生の口癖は人に稽古をつける以上夢寐にも忘れず稽古をしなければならない、尚且つ社会人として仕事も同様に行う事と言われています。

 私は今やこの師匠とであった年齢となったのですが未だ足元にも及びません。

○ 亡己利他の精神

 昔出会ったある指導員の方々は、中途半端に稽古する方はいませんでした。たとえば出来の悪い私にも何処が悪いのか、どうすれば遣えるようになるのかを自分の稽古は二の次に共に考え導いてくれました、当時としては40歳前の方でしたが物腰が柔らかく言葉も丁寧であり真に尊敬が出来る先輩です。

【佐賀藩の山本常朝が言っています。「人それぞれの長所を捉え我が師とする」】
自源流の若い皆様方、諸先輩方の良いところを見て自分のものにして下さい。

 そこで現在自分が私を指導し導いてくれた先生方や先輩方の様に立ち居振る舞いが出来ているか否かはわかりませんが出来る限りの事は自源流の方々に対しても誠意をもって対応することを心がけています。

天眞正自源流を想う


 師範八段M.H.

1.始めに・・・・・・・

 大変高邁なテーマを頂戴し困った。壮大な思想性と、何処までも深遠な術理の共在する当流を語るには、余りに未熟で力不足の自分を実感する。しかし、僅か15年の歳月ではあるがその間稽古を続けてこれた理由・・・・・・当流の術理の奥深さに魅了されてきた楽しさについて』なら語れる事に気付いた。そしてこの想いを『源心会会員各位の一人でも多くの方と共有できたら大いなる慶びに感ずる。

2.当流との出会いの契機

 夕闇が迫り、ビジネス街の喧騒も徐々に治まろうとしていた。勤務先オフィスである●●ビルは、官庁街霞ヶ関の一角にあり、20数社の企業が共在するオフィスビルである。明朝一番で提出しなければならない書類作成に取り掛かろうしていた。求められている内容の質を考えるとやり終えるまでには時間が掛かりそうな予感がし、間食を手に入れるために席を立った。

オフィスのある7階からエレベーターに乗り込むと、上の階にある取引先商社に勤める顔見知りのある社員と偶然乗り合わせる。ふと彼女の肩口を見るとおしゃれな服装とは不釣合いな黒い細長い皮のケースを下げている。小型のゴルフケースでもなく見慣れない形状の黒いケースだった。「これ何?」「野球のバットでも入っているの?」これが当流との出会いのきっかけ、1993年の春だった。

3.出会いそして強烈だった初見の印象

先のの自源流女性剣士と勤務先エレベーターで偶然一緒になってから一ヵ月後、広大な空港敷地にある全日空羽田整備工場ビル内の全日空武道場が当流との最初の出会いだった。

初見は、強烈なインパクトを突きつけられた。流れるような無駄のない動きの中で真剣を扱う妙味、切れのある華麗な速さと舞いの美しさ刹那を超えたその所作の見事さに魅了された。今まで自分の接してきた武道にはないその動きに圧倒された。この動きを自分も身に付けられるのか?。これが当流との出会いだった。

4.入門に至る

入門に至る当時の状況は・・・・・・・・・高校生で空手を始めちょうど30年近くが経っていた。

競技空手に注力した時期を経て選手活動引退後は、スポーツから武道への空手を求めながらもある種の限界と物足りなさを感じていた時だったと記憶する。そんな時期ゆえ、当流の武道性の質の高さに触れ多くを感じた事を思い出す。

当流との衝撃的な出会い後、長年師事してきた空手の宗家の許しを得て、当流一門の末席に加えて頂く。 46歳 夏 晴れて武道の二束の草鞋活動の出発となった。

5.当流に出会えてから今日まで

 当流に師事して僅か十五年足らずであるが、その間自分なりに感じた稽古の楽しさについて二点触れたい。

まず最初に、およそ刀法にて闘う人間が考え付くであろう全ての技が包括されていると思われるほどの技の幅の広さ、そしてそれは単に技の豊富さだけでなく、何百年も掛けて一門の先人達がそれぞれの時代の中、熾烈な実践と叡智な工夫を積み重ね、極めて完成度の高い技(法形)へ集約・昇華させ現在継承されていると考える。

 次には・・居合い&組太刀&刃斬合いの各法形へ試斬を加えた一つ一つ位相の異なる稽古手法が合理的・効率的に組み合わさって、極めて精度の高い稽古体系として今に継承されている点である。

 そして、その稽古体系は現代スポーツの最も進んだトレーニング手法をも凌駕する程の完成度の高い伝承体系である。

 それ故、それらの稽古体系に準じて直向に修練して行けば、その先には明らかな「道」が視えて来ると確信する。何時の日にかは、法理を内包した連法形はもとより有構/無構の域へと到達点も視えてくるかもしれない。天眞剣/天眞刀への道程は遥かに遠く最終点は未明なれど、当流のこれらの優れた体系を学べる事は大いなる喜びであり、誇りでもある。

6、結び

今日の稽古では何がまなべるのか? 何に気付かされるのか? どんな身体感覚を覚醒できるのか?稽古へ行こうとする度に期待が膨らむ! 稽古の帰りはその折々の成果に喜ぶ。この楽しさは入門以来変わっていない。さあ”次の稽古ではどんな発見が出来るだろうか?

天眞正自源流の精神 ≪源心翁遺訓≫ 

御流儀最高師範

『己殺他生』それが、自源流の精神である。己即ち自分自身を滅して他の人を生かす道を求めるものである。現世は自由であり又不自由である。何事も思うようには行かないもの、故に他を生かすことは自然と自分自身を生かし、大いなる自由の境地『安心立命』に到達することができるかもしれない。
 
 源心翁曰く・・『財を失うのは小さなことである。信用を失うのは大きなことである。

金で人を判断するなかれ、人の言動に惑わされるべからず。自分自身の目を信じること・・体の自由を失うのは小さなことである。心の自由を失うのは大きなことである。・・・目的を二つ持ちなさい。小さな目的と大きな目的を・・!!

命を失うのは小さなことである。名誉を失うのは大きなことである。命は一人にひとつしかない大事なものではあるが、命を惜しみ名を犠牲にし、子々孫々まで汚名を残してはならない、名誉を失えば愛するものを全て失うものである。

空のような広い視野で物事を見なさい。海のような広く深い心で人に接しなさい。

勇気を持ちなさい。勇気は自らを奮い立たせるもの、人は皆臆病なものだから。

悪い事は自分の責任としなさい。善い事は人の責任にしなさい。

武士道の精神は自源流の精神であります。誠の一道を貫くこと、全ての行いは【忠孝】の二文字をその原点と成すこと。さすれば、男女の別なく、生涯を全うすることが出来るでしょう。』

武術教訓と真実の姿

御流儀最高師範

 真正の日本武道に内在されている教訓は、人生に対して不思議な力をもつ。ある時は人を教え導き、ある時は人を励まし慰める。

 それは武道が数千年にわたって、すでに幾千万人を教え導き、国家の礎を築き、あるいは迷う者達を励まし慰めたという実証の力が、暗黙の間に我々日本人の精神に意識されているからであろう。
 
 武道を伝承する側からいえば、これは先師の修めた術理と精神の集約であり、私言ではない、過去多くの人々も、その誤り無き事を立証したとの自信をもち得るものである。

 そして、学ぶ側の人もまた、日本人として古来共通の理解済みのものであると考えれば、きわめてなだらかにその教訓に耳を傾ける事が出来るからであろう。
 
 武道に於ける教訓は、短くて意義が深い、短いが故に覚え易く、深いが故にその応用は無凝自在である。故に、武道の術理と教訓はこのような不思議な力をもつものである。

 天眞正自源流を習得することは簡単であり、同時に至難であり、人生永遠の課題を定義することでもある。
 
 一門諸氏に心から希望したいことは、自源流武道の術理と教訓に対する態度である。武道は決して学んで楽しむというだけのものではない。伝聞秘伝を旨とするものでもない。これを学びこれを習得して修身に益し、済世に資すべきものである。
 
 いわば武道は、自己の姿を、もしくは世情の実相を心の鏡に映し出し、此れを以て反省の資と為すべきものと思う。
 
 古人の武道に対する態度はすべてこのようなものであった。関ガ原天下分け目の戦いの前後、直江兼続は「滅国を興し絶世を継ぐ」の教訓に感じて去就を決し、加藤清正は「以て六尺の孤を託すべし」との教訓に感じて孤忠を全うしたと伝えられている。
 
 自源流には、世間で言われているような秘伝極意と称するものは存在しない。伝書や巻物の中に於いても、これは秘伝でこれが極意である・・・等と言う記述は一切ない。
 
 なぜならば、相応の修練なくして技術を修めたとしても、それは唯単に形を学んだのみであって、何の役にも立たない技術に過ぎないからである。

 あくまで、修練の過程に於いて精神と術理の融合が成されてこその武道であり、極意と称するものがあるならば、それは、その人達の修練の結果、到達した次元で成しえる術理に他ならない。
 
 自源流には、隠し事は何もない、あるのは唯一心技の修練のみである。そこには、極意も秘伝もなく、求めるものは、自由自在の剣の理法に尽きるものである。
 
 さればこそ、私の様な一介の凡夫でも真剣に武道に接すれば、必ずや得る所があるであろうと信じている。

 我が身にもできない事をお奨めするのは恐縮だが、本年も一門諸氏と共々に一介の剣士として励みたいとの希望から敢えてこの語を諸君らに伝えたいと思う。
 

   平成二十年一月