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殺人刀・活人剣


指導員三段 K.S.

「殺人刀・活人剣」(せつにんとう・かつじんけん)という言葉があります。

意味について文字通り取れば、「刀」は人を殺すもの、「剣」は人を活かすものと言うことです。意味を掘り下げれば色々な説がありますが、今学ばせ ていただいている御流儀では、こんな風に教えて貰っています。

剣とは刃が両側に付いている武器です。従って、剣を人に向けるとき、その刃は相手に向くと共に、自分にも向きます。ですから、そんな両刃の「剣」 で人を斬るということは、自分を斬ることと同じであり、生半可な気持ちでは剣を振るうことなどできません。必然、剣を振るうという行為について深く考えず にはいられず、それは自分の人格の向上に繋がります。即ち、自分を活かすことになり、また、むやみやたらに相手の命を奪うことが無くなるので、相手の命も 活かすことになり、剣によって活人が可能となるわけです。

一方、剣に刃が片方にしかついてい「刀」からは、前述のようなきっかけが生まれません。人の命を奪おうと、何をしようとそれは自分とは切り離され たことであり、刀はただただ、殺戮のための道具となるのみです

御流儀の技を学んでいて常々思うのは、片刃の刀は両刃の剣とは比較にならないほど恐ろしいということです。強さ、切れ味、技のバリエーションと、 斬る為の道具としての優越性において、両刃の剣は片刃刀の比になりません。もともと、日本刀は奈良古墳時代には両刃の直剣でした。それが、最強を求める進 化のなかで片刃となっていったのです。

しかしながら形としては片刃になったものの、それを振るわせていただく我等の目標は自分自身の人格の向上と、それによる国家社会への貢献であるわ けですから、私たちは、この刀剣のによる技のことを「刀術」ではなく、活人剣の誇りと共に「剣術」と呼ぶのだということです。

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御流儀には、テコの原理を使って剣の破壊力を何倍にも増す、「則」という技術があります。一刀流の切り落とし、柳生新陰流の合撃と似た原理だそう です。その稽古を木刀でやることがあります。

手元ギリギリで打ち込み打ち込まれるので、指先まである程度きちんと護れ、かつ手ノ内も利かせることができるものとして、ラクロスのグローブを 使っています。防具はそれだけで、文字通り目の前で、恐ろしい速さで相手と自分の木刀を打ち合わせます。相手の気迫に負けると、木刀がすっとばされるか、 自分のにぶつけられます。たまらなく、怖いです。これを真剣で、しかも実戦でやりあっていた昔の人達のメンタリティは、本当に想像も付きません。

御流儀の伝書を読むと、人の命について、そして、世界生成について、一見ではとても理解できない深い内容が書かれています。今の私たちでは想像も 付かない精神性から生まれたものなのだと、つくづく思います。これもまた、殺人刀・活人剣という言葉のベースになっているのだと思えば、考えることは尽きません。

一年を省みて


指導員三段M.U.

今年一年間は、もちろん昨年の延長線ですが、改善点は昨年以上にあると思います。
 まず、昨年末に今年の目標として視野を広げるということを挙げました。果たして実行できたのかというと答えはNOです。原因はまだまだ未熟だからであると思います。
 あるいは更なる真剣さが求められるのかもしれません。

 しかし、今年一年間を通して一つ目標が見えました。

これまでも何度か稽古会で出てきたテーマでもありますが、「完全に型に押し込めてしまうと個性が伸びてこない」という点について、これこそが今の僕に一番足りていないことであると実感した一年間であったと思います。

 今年も昨年同様に皆さんとともに稽古をさせていただく機会は多々ありました。
 やはり今年もご期待に応えきれなかったのは、僕がこの事に全くと言っていいほど目を向けていなかったことが一因であると思います。申し訳ありませんでした。

 さて、来年の目標ですが、先に述べたことに注意しつつも自分自身も基本に忠実に稽古の励んでいきたいと思います。・・・・・・ありがとうございました。

今年一年を振り返る


指導員三段K.S

 今年を振り返ってみると、特に後半は、自分の自源流を試す機会をとても多く持ったように思いました。

 十一月に、著名なある先生の団体の大会に、自源流の有志と共に参加しました。

 競技は、かいつまんで言えば巻き藁を定められた順番と場所で斬っていくものです。減点法で採点し、優秀者は表彰もされます。

 自源流の刀法とは、対敵想定も、斬り方も、全く違います。試斬の中では、ややもすると理解に苦しむような動作も含まれており、稽古をしていて違和感を感じることもありました。

 しかしながら、僕の目的は勝つことよりも、出ることでした。言葉では上手く言えないのですが、普段の自源流の稽古で培おうとしている「何か」を、自分の演武の中で少しでも貫くことが出来れば、それで良かったです。

 沢山の人が参加し、審査される様な場で、僕はこれまで、演武をするような経験はあまりありません。それがゆえに、どこまで自分が「自分の自源流」をできるのか、試すのは快い物でした。

 結果は点数としては評価されることはありませんでしたが、臆する事無く技を披露することができました。また、始める前と後、神前及び審査員・参加者の皆さんのそれぞれに、きちんと礼をすることもできたので(参加者のほとんどは、していませんでした)、満足でした。 またぜひ、来年も参加しようと思っています。

 つい先だって、十二月三日から七日までは、皆さんもご存じの通り、米国ウェストバージニア州(正確には、そこから車で1時間ほど離れた、Ransonという町の町道場)にて、自源流初の御流儀紹介のセミナーに参加してきました。

 宗家、最高師範、H顧問、S師範代、T師範代そして僕の総勢6名が、それぞれ講義と実技を指導してきました。

 日本剣術の哲学、自源流の哲学、礼法、自源流の刀法、日本刀について、武士道についてetc...紹介する内容は多岐にわたり、開始直前、そして三日間が終わるまで、始終どのようにして英語で紹介したらよいのか緊張の連続でした。

 この場で僕が自分を試していたのは、自分自身の日本剣術・武士道・そして自源流に対する理解度だったように思います。

 自分で喋っていても拙かったり、上手い言い回しが出てこない事ばかりでしたが、後から貰った感想では、単に直訳しかしないプロの通訳よりも、実践者として自分の言葉と表現に直していたのが、逆に良かったとの言葉も戴きましたので、そこそこは役に立てたのではないかと思います。

 元々のこの旅行の目的は、自源流の紹介と共に、現地の武道家の皆さんとの交流を深めることでした。

 そして、自源流の皆さんは自腹を切って渡航し、現地の皆さんは、職場を休んで遠路はるばる(車で片道六時間から九時間は当たり前)来てくださっているのですから、もう一方の自分の目標としては、可能な限り四日間めいっぱい日米の間に入って交流の橋渡しをするということでした。

 残念ながらその点は、正直最後まで体力が持ちませんでした。

 一日目の夜は、何とか飲み会までできたものの、二日目、三日目は、昼間のセミナーを終えるので精一杯、特に三日目の終わり頃は、立っているだけで精一杯、最高師範がお話になる内容を、全部は憶えていられず、大分はしょった場面もありました。

 疲れると、短期記憶力も削られて、初日に憶えていられた分量を憶えていられなくなると初めて知りました。 

 現地の皆さんが気を利かせて、晩餐を催してくださったりしても、正直ぐったりしてしまい、今思えばもっと気を利かせて立ち回れた場面が多々あったのを申し訳なく思います。

 行く前と、行っている間は、「こちらの内容を、どう伝えるか」に必死でした。

 そして終えてみると、今一番考えたいことは、「彼らの人生を豊かにする役に立つように、自源流そして日本剣術をどううまく伝えるか」です。

 今回出会った現地の人々は、武道家として、そして人として、僕など及びも付かない素晴らしい方々でした。

 このセミナーを主に支えてくださったのは、道場を貸してくださった、ロバート・ジング先生、事前連絡と準備に奔走してくださった、トム・マクダマット先生と、ルイス・フェリシアーノ先生の三人でした。

 ジング先生は、年の頃50代半ば、現在の仕事は素行に問題のある青少年の更正施設の教員をやりつつ、教育学の大学院の修士課程で、電子メディアを活用した教育方法を選考されているそうです。

 十代で始めた沖縄空手から早四十年、今では、世界拳法選手権というフルコンタクトの大会の米国代表チームを率いて毎年参加されています。

 また、その道場は、仲間内では「博物館(Museum)」と呼ばれています。元は教会の建物で、一〇mx 二〇m 程の道場なのですが、四方の壁には、木刀、槍、サイ、トンファ、様々な防具など、古今東西の武道用具が、すぐに使える状態で用意されています。

 トム・マクダマット先生は、30代後半、その昔は懸賞金犯罪者追跡を手がけ、その後、犯罪者の保護観察官、そして現在も犯罪者更生の仕事をされています。
 
 やはり大男ですが子煩悩でとても優しく、また、何度も日本に来て(2008年には靖国奉納演武に参加されました。)、自身の武道を極めようとされています。

 ルイス・フェリシアーノ先生は、とても物静かで40代半ば、地元の警備会社の重役で、武道家としてのキャリアも30年以上ある方です。
 
 今回は、片道1時間以上かかる行きと帰りの送迎を引き受けてくださったり、お昼ご飯に連れて行ってくださったり、大きなご自宅での夕食会も催してくださりと、自ら率先して動いてくださりました。

 一方大変子煩悩で、大きな家のほとんどの部屋は子どものオモチャがそこらじゅうにあり、長男と次男には野球の指導、三男には武道の指導をされています。別に病気とかそのようなわけでもないのですけれど、「自分はいつ死ぬか分からない。だから、子どもにはいつでも精一杯のことをしてやろうと思っている」と、ぽろっと漏らされたこともありました。

 セミナーに来てくださった米国の武道家の方々もまた、このお三方に負けず劣らず、謙虚で向上心にあふれた素晴らしい人格を持つ人々でした。彼らを前にすれば、ただただ、経験の浅い自分ができる精一杯のことをしたいという思いで一杯になりました。

 オバマ大統領が立ち、アメリカは大きく変わろうとしています。そして世界の構造も、ようやく冷戦時の二極体制から、多極体制に変わりつつあり、これからの世界は、ある面、応仁の乱後の戦国時代に近くなっていくように感じています。

 そんな中、実際にその体制変化を1000年に渡って生き延び、技術と思想を進化させ、活人剣に辿り着いた自源流は、正に世界に貢献できるものを持っていると思います。

 世界情勢が変わる中、アメリカは、今後一時的に大幅に国力が落ち、それは国民生活にも大きく影響するという人も居ます。自源流の技と精神は、そんな彼らにとって大変役に立つ可能性があるのではないかと思います。 

 そして、今回出会ったアメリカ人武道家の、謙虚かつ大きな向上心と熱心さ、そしてアメリカ社会の厳しさが自源流と交わり、何か新しいものが生まれるのではと思います。

 そして巡り巡って、ある意味グレイシー柔術のように、いつか遠くない日に日本に帰り、日本人に新しい活力をもたらすようにならないかとも、夢想します。

 話は変わり、僕は他の自源流の皆さんとは帰路を共にせず、その後も一週間ほど残りました。
 帰国日の3日前ほどは、ニューヨークの友人宅に滞在していたのですが、色々な都合から、朝の4時に、ハーレム地区を、彼の家から地下鉄の駅まで歩いていくことになりました。

 友人は楽天的な性格なのと、色々忙しかったため、非常に大まかな道順のみで、iPhoneのGPS機能片手にハーレムをさまようことになり、途中道にも迷ったので、結局一時間半ほども一人歩くことになりました。

 明け方にも関わらず、意味の分からないことを叫ぶ人、ワケもなくクラクションを鳴らしながら走る車などは、ひきもきらしませんでした。

 そんな中、護身武器としてカメラの三脚と、懐には友人宅から拝借した瓶ビールを偲ばせ、歩いておりました。刀ではありませんでしたが、ある意味自源流の実戦の中にいるような思いでした。

 あれこれ対敵想定もするなか、稽古のことが頭に浮かび、法形においてはより一層無駄をそぎ落とすことの大切さが思い浮かびました。実戦では無駄な動きをしている余裕が無いと言うことを、ハーレムの路上で身を以てひしひし感じました。

 そんなところが僕の二〇〇九年でした。来年もまた、様々な形で自分の「自源流」を深化させる機会に挑戦したいと考えています。

 しかしながらそれは、宗家、最高師範の日頃のご指導のお陰であり、共に稽古をさせていただく同輩の皆さんのおかげです。

 一年を閉じるにあたり、改めて心からお礼申し上げると共に、来年もどうぞ宜しくお願いいたします。

還暦と天眞正自源流


剣士初段S.K.

天眞正自源流を始めた動機は、一年半前の四月一日に、還暦を迎えて、サイクリング自転車でさまよって三ヶ月目に入った、七月二十一日の暑苦しい午後であった。

 Tシャツ姿の居合刀を持った若い人が、歩いているのに偶然出あったことから、一歩が始まった。

 春日部武道館に入って、初めて目にしたものが「抜刀・納刀」の風景でありました。

 その時、自分の求めていたものに出会えた喜びの一瞬であった。四十年間の職業を通して、人生を普通に平凡に送ってきた自分でも、「なんだこんな坂」時には、「泣きながら、笑いながら」「ぶつぶつ文句」を言いながら誠実・根性・気迫をもって、子供のため、妻のためと理由をつけて上り坂・下り坂を乗り越えて、還暦という「峠」に登りつめてきました。

 そんな人生の起点に自源流と出会えました。

 残りの人生を楽しく、希望を持って送れることは、何事にも変えがたい人生である。一年がたち、毎日が自源流の生活です。

「抜刀・納刀」を繰り返して、練習を重ねて、何とか、身体が動くようになりました。

 「稽古」を繰り返していると越えられない、何かがあることに気がつきました。「一日の長」「一ヶ月の長」「一年の長」越すに越えられない、風格の壁をつくづく知らされました。

 そうは言っても、自分は自分でしかないので、これからも「抜刀・納刀」を繰り返して、自分流の風格を身につけて、自源流の道を極ある努力を重ねたい。

この一年の総括


師範代四段 M.S.

 私は、自源流に入門して約六年ぐらいになる。

 居合いをはじめたのが、中年になってからなので、いろいろ戸惑いながら、今まで続いてきた。

 今では、居合いの道にのっとり、修練を重ね、技が増え、技も難度が増してきた。

 しかし、習い覚えた技も、深みを増し、自分の色付けをし、自由な動きができるようになるには、まだまだ年数を要し、数年ごとに自分の技や理合を見直し、再習得することを重ねていかなければならないと思っている。

 今年、二〇〇九年は、日本も世界もリセッションとなり、経済が大変冷え込んだ年となった。
 九十年代のときもそうだったが、こういうときは、いつも自分(の人生)を振り返り、反省をし、内省を行う年となっている。

こういうときに自源流が自分の柱となり、心の支えとなったことにとても感謝をしている。
 
 今年は演武会に(私は)例年より多く参加したと思う。それぞれの演武会で自分なりの課題があった。

それを以下に記していく。

 精龍空手の演武会では、複数人における組立ちを行った。

 複数人の組立ちでは、お互いの息を合わせることが、とても大事になった。また、一所に居着くことなく、相手の動きにあわせて、浮動していく。

 また、刀の動きも止まることなく、滑らかに動いていく。これが大事となった。

 演武結果は、とてもシンクロ性が高く、見ていて気持ちのいい演武となったみたいだ。

 靖国神社の演武では、組立ちの想定で、動く敵に対し、動きながら、どのように間合いを避け、相手を倒していくかを課題としたが、十分それを表現した演武となったかは、疑問が残った。

 相手の動きを探ることと、自分が動くことが、同時にできなかったように思う。

 自源流の法形は、自然法則に則った、形が創られている。

 連法形もこの法則に則って組み立てられる必要がある。くれぐれも違和感のある動きに注意し、常に自分の演武形が法形に則っているか確かめることを心に誓った。
                       以上。



この一年とその想い


師範代四段T.Y

早いもので去年末に同じように源武の原稿を書いてから一年がたった。

この一年の間に息子の誕生と師範代への昇段と大きな出来事が2つもあった。両方とも嬉しく思うと同時に非常に重たいものが両肩に乗っている事を最近特に感じる。
今までは主に自分の事を考えていればよかったが、家庭や道場全体という周囲の環境に重きを置かなければならないとようやく自覚してきている。

薄情なようだか今までは自分の為、自分の技量を上げる事だけを考えていればそれが上達への道と考えていた。

それも間違いではないかもしれないが、勝負というものは一人でする物ではなく他人との間に成り立っている。

私自身に言える事だからあえて書くが、自分の動き(例えば斬る、受ける)にのみ心とらわれている者同士が袋竹刀で勝負すると見苦しいだけである。

この事を考えると自分ではなく周囲に重きを置かなければならない自分の状況は上達に大事な事を教えてくれているように感じる。

このような恵まれた環境に自分が置かれている事を宗家、最高師範はもちろんの事、自源流の先輩方、後輩の皆様、私の家族に心から感謝し、御礼申し上げます。

武術指導に関する考察


師範五段 K.N

 TVのスポーツニュースを見ていると、プロゴルフの石川遼選手の活躍が連日のように報じられている。石川遼選手に限らず、スポーツニュースの表舞台において、またオリンピックにしても第一線で活躍している選手は、十代~二十代前半が大勢を占めており、三十歳台ともなれば体力の限界を感じ、引退する選手が多い。

 これは解剖生理学的に見ても、成長曲線は二十才までがピークであり、その後は緩やかに下降カーブを描いて減退していくことからもあきらかである。

 神経細胞も減少していくが、その分ニューロンのネットワークを密にしていくことで、能力低下をカバーしていることが知られている。

 先日、「世界を変えた日本人百人」というTVの特集番組で、プロスケーターの佐藤有香さんを取り上げていた。オリンピックメダリストである伊藤みどり選手と同世代に活躍した方で、世界選手権後にプロスケーターに転向。

 北米に拠点を移し、スターズ・オン・アイスやチャンピオンズ・オン・アイスなどのアイスショーに多数出演し、また世界プロフィギュア選手権で四度優勝。

 その後、コーチ兼振付師としても活動を始め、一九九八年頃からは日本人選手の指導も行うようになり、一九九八-一九九九年シーズンは荒川静香の振付も担当している。

 現在はデトロイトスケートクラブを拠点にし、アリッサ・シズニーやジェレミー・アボットの指導や小塚崇彦の振付を行っている。

 アマ・プロを問わず、選手が第一線を引退して、トレーナーやコーチになることは珍しいことではないが、あえて佐藤有香さんをここで取り上げたのは、例え競技から退いたにせよ世界に通じる一級の技術を維持し、また現役の一流プレーヤーたちが尊敬の念を持って指導を仰ぎに訪れる。武術を若い時だけの一過性のものではなく、生涯学習の場であると捉えた時に、よいお手本と思いピックアップさせて頂いた。

 十八歳にして「疲れた~!」「もうおばさんだ~!」と叫んでいる若輩もいるが、基本的に二十歳が成長曲線のピークであることは既述した。(個人によって差異はある)二十代後半の門下生においても、すでに感じておられる人もいるかもしれないが、確実に骨筋力、反射・運動神経ともに加齢による減退を避けられない。

 オリンピックに代表される西洋型スポーツ競技においては、基本的にパワー&スピードが勝敗の決める大きなウェイトになっている。よって、それらが衰える三十代で引退せざるをえなくなるわけである。

 話は変わり、源心会の今後の活動の一環でもある武術を通しての青少年の育成ということで、今後の学童年齢の若年者に対する指導について考察してみたい。

 現在、解剖生理学、運動学を学んでいることもあり、若年者におけるスポーツ障害について述べておきたいと思う。

 先ず知っておいてもらいたいのが、スポーツ=健康ではないということである。特に競技志向が強くなり、勝敗に拘れば拘るほど、結果として身体を傷つけてしまうことを知っておいて欲しい。

 マスコミ等で華々しいスポーツの表舞台が報じられているが、その陰で多くのアスリート達が怪我や障害で現場を去っていることを忘れてはならない。

 学童年齢の児童を指導する際には、そのことに留意し、児童本人ならず保護者である親も含め教育指導していく必要があると思われる。

 学童年齢の児童は、成長過程にあり、端的にいえば未熟である。ウェイトトレーニングは骨の変形をもたらし、過度の運動は障害を招きやすい。

 典型的な例として少年野球におけるリトルリーガー肘があるが、過度な投球動作により肘関節の骨端線が離開してしまう。

 疼痛によって来院するが、疼痛が治まると早期に運動を始めてしまい再発し、成長障害により内反肘等の変形治癒に至る。

 青少年期には代償活動が活発なため、外見上の変形を除けばADL(日常生活活動)に支障は感じないが、加齢により代償活動が減少してくるとボディバランスが崩れ、肘の局在にとどまらず、肩・頚等にも障害が現れ、ひいては神経、内臓活動にも影響を及ぼす。(殺法でいうところの五年・十年ゴロシの原理です)よって児童への指導にあたっては、心身の健全な育成という大局に立ち、目先の勝敗に拘ることなく、解剖生理学的並びに運動学的知識を基本として、怪我並びに成長障害を防止することが肝要と思われる。

 以前読んだ時代劇小説に、著名な剣豪であった塚原朴伝は、就寝中に今まで感じたことのなかった微かな痺れが四肢に走るのを感じ、以降試合をすることを辞めてしまったというのを読んだことがある。

 当時の試合は「死合い」であり、負けは死であるとするならば、賢明な選択であったと思われる。

 最後に、特別に口伝をひとつ伝授致したいと思う。最高師範から指導を頂いている中で、古伝というのは本当にすごいなと思ったことに、身体に負荷をかけた動きをさせないというのがある。

 ナンバという身体の使い方は、古流をやっている人には、何をいまさらの世界であるが、天眞正自源流における円転動作の指導の中で、軸と正中線ということがよくいわれるが、これはまた上肢と下肢を一致させることでもあり、それは身体を捻らないことでもある。

 解剖学的に上肢と下肢は、骨盤で腰椎五番目と仙骨が腰仙関節にて連結されている。

 また脊柱の回旋運動において、胸椎は側屈回旋ができるが、腰椎はできない。これは脊椎の関節形状により可動制限されているのです。

 西洋スポーツのように上・下肢の反対運動⇒身体を捻ることによって、上下・左右のバランスをとる運動は、運動エネルギーのロスのみならず、身体に対しても負荷をかけていることになる。

 要は、身体に無理な動きをさせて痛めたとしても「待った」はないよ!ということである。格闘技ルールと違い、ガチンコの戦闘中もしくは死合いの際は動きが止まった時が、死ぬ時である。K1である選手が試合中に眼底骨折した時は、レフリーストップによるKO負けで終りましたが、「死合い」ならばリング中央で仁王立ちしたときに、四肢が斬りとび、倒れたあとに首と胴が生き別れとなっていることだろう。

 少し殺伐とした話題になってしまったが、これは剣術における撃剣論として述べているわけではなく、試合に挑むにあたっての心法または気構えとして受け取って頂きたい。

 私自身、武術の修練にあたっては、単に闘争技術としてではなく、本来の意味でのマーシャルアーツとして芸術の域まで高めていきたいと思っている。

 天眞正自源流には、それに値するだけのポテンシャルと奥深い懐を秘めていると感じている昨今である。

2009年12月のアメリカ講演旅行の感想


師範代四段M.S.

今回、アメリカ講演旅行に行けて、初めて居合を知る人と、長年居合をやっている人に出会えた。

 初めて居合をやる人は貪欲に知識を吸収し、形を覚えていくのが早いのに驚いた。また、長年居合をやっている人も、新しい知識と技術に対する欲求はすばらしく、偏見なく学んでいった姿に感銘を覚えた。
 
自源流については、実践的で、合理的な技術に感銘を覚えたみたいだ。また、ジングスさんの道場では、柔術を教えていたが、日本の古典的な柔術に近い実践的な技術を教えていた。ルーツを尋ねてみると、八光流の技術が含まれているとのことでした。そのため、徒手格闘術についても、要望は高く、自源流の柔術を最高師範が演武した。このことから、剣術と柔術とを同じ理合いで教えるのも一考かもしれない。

 試斬について、皮一枚の試斬についても、簡単な袈裟斬りなどでは、結構斬れていたので、そんなに不器用ではないのかもしれない。居合刀法は、とまどっている方もいたので、この刀法による試斬は、これから彼らの課題となるかもしれないと思いました。

 講義については、技術的な内容は、理解してもらえたみたいだか、観念的、思想的な内容は、難しかったかもしれない。できるだけ簡単な説明をし、練習しながら、補足説明をして理解を積み上げていくのがいいのかもしれないと思いました。

 個人的な感想としては、行き帰りの飛行機で腰に来たのと、時差で日中眠くなり、講義中に眠気でぼーっとしていたのが反省点でした。

 最後に、忙しい中、我々の世話をしてくれた、ルイスさん、トムさん、そしてジングさんに感謝を奉げたい。

2009年12月アメリカウエストバージニア州ランソン市でのセミナーを終えて。


師範五段T.H

アメリカに対しては、先の大戦のこともあり、余りいい感じを持ってはいなかったが、今回、空港に降りたってアーリントン墓地を見学した後には、これほど国に尽くした兵士を大切にしている事に感慨を覚えた。二十四時間交代で兵士が墓地に詰め、ゴミの一つもなく、大声で話す人もない。
 
 フォードの大きなワゴンに乗り込み墓地を出て、ワシントン市内を少し回り、目的地へと向かう。郊外にほとんど信号はなく、緩やかなアップダウンの道が続く両脇には、柵のない大きな敷地の中にゆったりした家が建つ。国土も、家も、車も、全てが大きくゆったりとしている。そしてアメリカ最初の食事はウェンディーズのハンバーガー。

 道場について、赤絨毯にはびっくりしたが、宿泊先のゲストハウスは築百年という素晴らしいもの。屋根裏部屋まで入れると、五つの寝室に六つのベッドがある。中は全てクリスマス一色。大きな洗濯機に乾燥機、冷蔵庫。全てがおおらかな作り。稽古を始める前に、アメリカ人の基本的な気質がわかったように思えた。

 セミナー初日、どうなるかと不安があるが、人は余り多くない。道場主のジング氏は、スキンヘッドにあごひげの少し怖そうな人だったが、特殊学校で教師をしている人格者。

 空手ではかなりのようで、たくさんのトロフィーが壁を埋めている。お互い緊張気味のスタートだったが、参加者は講義も真剣に聴いている。

 実技指導に入ると一気に熱がこもってきた。子供たちが実に活発で興味津々。「やってみたい人!」と最高師範の声がかかると、真っ先に手を挙げてくる。

 つられて、遠慮気味の大人たちもやってくる。

様々な流派の居合や剣術をやっていた人、拳法や空手はほとんどが体験している。しかし、みんなどれが本物なのかわからないという疑問があったという。

 実技の初めは当然、抜刀・納刀。子供たちも真剣に取り組んでいる。

 初日が終わって、修了証を最高師範から受け取るときには、みんな同門の様な気がした。夕食は近くのレストランでステーキ。最高師範の指示で、食事はすべてダッチアカウント。
 
二日目は、また違うメンバーがやってくる。講義内容も一般的なものから、だんだん具体的なものになっていく。いろは撃ち、立木撃ち。立木は竹を三本ダクトテープで巻いて、試斬台に固定したもの。一息で三十回打つというと、子供たちが争って記録に挑戦する。

三日目。最終日には、なんと六時間掛けて車でやってきた人たちがいた。最後に我々が演武し、宗家、最高師範と続く。最高師範の演武は、未だ未公開の神速技ばかり。アメリカ人そっちのけで、私が見入ってしまった。アメリカ行きの数日前に講義内容やスケジュールが渡されたが、最高師範の本気モードが十分に伝わってきた。現地ではそれを実証するかのように濃い術理や理念の説明と、圧倒的な演武であった。
 
 この地から天眞正自源流をアメリカで根付かせるという、断固とした決意が伝わる。同時に、これは同行した門人への開示と教唆であると思う。

 今まで見えていなかった最高峰、到達点の一部を示していただき、ここまで来いと全てを明らかにしていただいた。

 個人的には、今回のセミナーでこれが最大の収穫である。今までは、どこまで行ってもその先があるために、不安と無力感を覚えることもあったが、到達点が少しでも見えれば、自分の今の位置も、ここから先の道も見えてくる。

 演武等では自分の未熟さと稽古量の少なさを痛感した。

さすがに師範代は師範代、師範は師範である。振り返るとちょうど入門満二年の区切りとなるセミナーだったが、流儀の顧問として、恥ずかしくない技と内省を身につけていくことを改めて強く願う。

 このように未熟な者を顧問としていただいた最高師範にお答えできるよう、これは任せられるという、一つでもしっかりしたものを確立して、次回のセミナーにも是非参加させていただきたい。
 
 最後にツアーコンダクター、通訳、雑用係と、大変だったSさん、お疲れ様でした。ありがとうございました。
 
       今後ともよろしくお願いいたします。